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sakajam diary

ONOMICHI country lifestyle…

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time 2020/03/31

今日、志村けんが亡くなったというニュースが駆け巡った
亡くなったのは29日の夜らしい

SNSは悲しみの声に溢れてる
特に私のような40代から下の世代にとって彼は日本の喜劇王だった
そして志村けんはそのキャリアの中で実に3度のピークを作り出した
まさに「王」と呼ぶのに相応しい
いや、志村けんなら「殿様」か(殿だとビートたけしになっちゃうからなあ)

1度目のピークはドリフターズ在籍時
正式加入して2年ほどは目立った活躍が出来なかったが(当時のエースは加藤茶)
冠番組「8時だョ!全員集合」内での、東村山音頭でブレイク
ドリフターズは加藤茶に加えて志村けんという二大エースの円熟期に突入する
(この辺は私が産まれる前から、幼少期ぐらいまで)

80年代も半ばになると、高視聴率番組「8時だョ!全員集合」も、裏番組「オレたちひょうきん族」の台頭により、終焉
お笑い界の振り子はビートたけしや明石家さんまの方へ振り切れるはずだった
しかし、志村けんは加藤茶とともに「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」をスタート
探偵コントと視聴者からのビデオ投稿により、もう一度時代の振り子を自分たちへ戻す
ビデオが各家庭に普及しだした時代でもあり、このビデオ投稿のフォーマットは海外にも輸出されるし、投稿VTRを見て笑い、タレントがコメントするスタイルは現在も生き続けている
そして「バカ殿」、「志村けんのだいじょうぶだぁ」によって志村けんは80年代のお笑い界の頂点に君臨するのである

徹底的にコントにこだわる姿勢とは逆に、志村けんはトークバラエティには興味を示さなかった
90年代、ダウンタウンの台頭や芸人人口の増加、視聴者の嗜好の変化によりトークバラエティ全盛になると、志村けんは定期的な「バカ殿」や「ドリフの大爆笑」など以外はテレビ界から1歩引いたレジェンドの立ち位置に収まる
テレビ露出の現象によって「志村けん死亡説」なんてトンデモ都市伝説も90年代末にら流行ったほどだ
時代はビデオからインターネットの時代へシフトしていた
インターネットカルチャー黎明期の都市伝説のひとつとして、今では懐かしい

1999年、転機が訪れる
志村けんは高倉健の直接のオファーにより、映画「鉄道員」に俳優として出演する
ドリフターズとしての喜劇映画以外の映画ととしては初である(そして、声優出演としては唯一となってしまった。本来なら今年約20年振りに「キネマの神様」で菅田将暉とともに映画出演をするはずだったのだが…)

ここから志村けんは素の自分を出すことを解禁し、トークバラエティなどにも姿を表すことになる
そして誰もが知る「天才!志村どうぶつ園」がスタートし
志村けんは50を超えて3度キャリアのピークを作り出し、
昨夜無くなるまで、70歳まで現役であった

改めて志村けんのキャリアを書いてみるとスゴい
日本の最高の喜劇王に
そして、音楽が大好きで、数々のソウルミュージックのグルーヴを「ヒゲダンス」などに落とし込んだミュージック・ラヴァーに
R.I.P

(花木)

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プロフィール

Makibaou

Makibaou

-Local Muzik &Coffee Lovers-「サカジャムベース」を地元広島尾道にてオープン。 ジャンルの壁をヒョコヒョコっと飛び越えLive,MCをこなすオノミチノラッパー。Bounce Back Boysとしてバンドでも活動中

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